どうも、おはよう、こんにちは、こんばんはミギーです。
今回は、個人的にハマった漫画のヒカルの碁から本因坊秀作について調べて見ました。
漫画の話では藤原佐為が本因坊秀作に囲碁を教えたということになっていました。
現代でも有名な最強の棋士・本因坊秀策は囲碁に興味のない方ももしかしたら名前ぐらいは聞いたこともあるんじゃないでしょうか?
「秀策のコスミ」などはヒカルの碁にも載っていましたね。
「ヒカルの碁」では碁を学ぶ幼少の虎次郎(後の秀策)に佐為が取り憑いて、以降佐為に碁を打たせていましたが、実際は秀策はシンプルに強かったのです。彼の※棋譜は今でも読まれ続け、後の囲碁界に与えた影響は多大であります。
下記がウィキペディアでの説明になります。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%AC%E5%9B%A0%E5%9D%8A%E7%A7%80%E7%AD%96
秀策はお城碁での19戦全勝。そして当時の流行り病から本因坊家を救うため、周りの制止を振り切って病人の看病にあたったことで自身が病に倒れ、33歳の若さで亡くなってしまったエピソードが有名です。
御御城碁(おしろご)は、江戸時代に囲碁の家元四家の棋士により、徳川将軍の御前にて行われた対局。寛永3年(1626年)頃に始まり、毎年1回、御城将棋とともに2、3局が行われ、幕末の元治元年(1864年)に中止となるまでの230年余りに渡って続いた。御城碁に出仕することは、家元の代表としてであり、当時の棋士にとってもっとも真剣な勝負であった。また碁によって禄を受けている家元四家にとっては、碁の技量を将軍に披露する義務としての意味もあり、寺社奉行の呼び出しによるという形式で行われた。実際に将軍が観戦することは多くなかったが、代行として老中などが列席した。
全部で536局の対局が行われ、出仕した棋士は67名。代表的な成績としては、本因坊秀策の、嘉永2年(1849年)から文久元年(1861年)にかけての19連勝が有名。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%AC%E5%9B%A0%E5%9D%8A%E7%A7%80%E7%AD%96
そんな中、19連勝した本因坊秀作は伝説と言えるでしょう✨
自分はヒカルの碁に関しては碁を知らなかったのですが楽しく読むことが出来ました。この機会良ければみんなも見てみてね✨
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