養殖と天然漁業の未来 ― 人口増加と水産資源の持続可能性を考える

話題

人類の食卓に欠かせない「魚」。その魚をどう確保するかは、すでに一国の食文化だけではなく、地球規模での持続可能性の課題となっています。

世界人口は2025年現在で約80億人。国連の予測では2050年には97億人に達する見込みです。それに伴い、世界全体の魚消費量は右肩上がりに増えています。

しかし、天然漁業資源はすでに限界に近づいています。国連食糧農業機関(FAO)の最新報告では、世界の漁業資源の約1/3は乱獲状態、約60%が最大持続生産量(MSY)ギリギリで利用されているとされます。つまり、これ以上「天然漁業だけ」で供給を増やす余地はありません。

では、未来の人類の魚食を支えるのは何か?その答えは「養殖」にあります。

第1章:近代水産学が明らかにした新しい発見

1. ゲノム選抜育種(Genomic Selection)

近代水産学の最大のトピックの一つは「ゲノム選抜育種」です。これは、魚のDNA情報を解析し、成長や耐病性などの能力を遺伝子レベルで評価して、より優れた個体を選抜する方法です。

従来の育種では、親魚の成長スピードや体型などの表現型を基準にしていました。しかし環境要因が大きく影響するため、誤差が大きく時間がかかりました。

ゲノム選抜は、魚の幼魚段階で将来の成長や病気耐性を予測できるため、効率的に「強い系統」を作り出すことができます。

  • ブリ類:成長率10〜15%向上、病害耐性強化。
  • ヒラメ:ウイルス性出血性敗血症(VHSV)耐性を持つ個体を選抜、生残率20〜30%改善。
  • サケ(ニジマス・アトランティックサーモン):寄生虫・細菌性冷水病耐性を持つ系統を作出、飼料効率10〜15%改善。

つまり、ゲノム選抜は「未来の養殖魚の性能をDNAで予測して改良する」技術なのです。

2. 魚由来の腸内細菌と「魚の腸活」

AISTの研究では、ニジマスの腸から新属新種の酪酸産生菌が発見されました。これを「魚専用プロバイオティクス」として応用することで、腸内環境を整え、ストレス耐性や病害抵抗性の向上が期待されています。

人間で「ヨーグルトが腸にいい」というのと同じ発想ですが、魚に最適化された菌を利用できることが新しい。これにより抗生物質への依存を減らし、より自然に近い養殖が可能になります。

3. 栄養強化ワムシと全雌化技術

仔魚の餌として利用されるシオミズツボワムシを、脂質や消化しやすい栄養で強化する研究が進んでいます。これにより仔魚の成長と生残率が改善し、種苗生産効率が大幅に向上します。

また、クロソイでは「全雌化」に成功しました。雌は成長が早く大型化するため、全雌個体群を作ることで収益性を高められます。

4. 養殖魚の疾病対策と天然物質

紅藻や海洋細菌由来の天然物質に、抗酸化・抗炎症作用や紫外線防御作用があることが分かってきました。これらを飼料に加えることで、魚の健康を強化し、薬剤使用量を減らす可能性があります。

第2章:養殖魚と天然魚の境界線

養殖魚は、しばしば自然環境へ逃げ出すことがあります。台風でいけすが壊れたり、人為的に流出したりする場合です。

1. 生態系への影響

  • 遺伝子汚染:人間に都合のよい遺伝子(早熟・病気に弱いなど)が天然集団に混ざる可能性。
  • 捕食・競合:餌を奪ったり、新しい競合種として影響を与える。
  • 病気の媒介:養殖場で広がる病気が天然魚に拡散する。

ノルウェーでは、養殖サケの大量流出と天然サケの交雑が大きな問題になっています

2. 人体への影響は?

多くの人が心配するのは「養殖魚と天然魚が交配したら、人が食べたときに害はあるのか?」という点です。

科学的には、遺伝子がそのまま人に移ることはありません。魚のDNAは消化過程で分解され、アミノ酸や核酸になるからです。

一方で注意すべきは「寄生虫や細菌」。養殖魚が逃げて病原体を広め、それを十分に加熱せず食べれば、人に害を及ぼす可能性があります。しかしこれは天然魚でも同様で、養殖特有のリスクではありません。

第3章:2050年の需要と供給シナリオ

世界人口の増加と魚食文化の広がりにより、魚の需要は今後さらに高まります。

下の図は、天然漁業と養殖漁業の生産量、そして人口増加に伴う魚の消費需要をまとめたものです。

  • 天然漁業:横ばい〜微減(90百万トン程度で頭打ち)
  • 養殖漁業:急増(1990年10百万トン → 2050年160百万トン予測)
  • 総供給:2050年には約250百万トン
  • 需要:2050年には約240百万トン

つまり、養殖がなければ2050年には魚不足が確実に起きます。養殖こそが「未来の食卓を守る砦」なのです。

第4章:養殖の課題と解決策

1. 魚粉依存

養殖魚の餌として使われる魚粉・魚油は、結局天然漁業に依存しています。これを解決するために、大豆・昆虫・微生物由来の飼料研究が進んでいます。

2. 環境負荷

養殖場の排泄物や薬剤使用は、周辺環境への負荷となります。閉鎖循環式の陸上養殖(RAS)やAIによる給餌最適化が注目されています。

3. 社会受容性

ゲノム選抜や全雌化などは「遺伝子操作と誤解」されやすいため、社会的な理解が不可欠です。

終章:未来の魚食をどう守るか

結論として、養殖は今後の人類にとって不可欠です。しかし「無限に増やせる魔法の技術」ではなく、環境負荷や遺伝子流出リスクも抱えています。

私たちが考えるべきは、「養殖を推進するかどうか」ではなく、

「いかに持続可能で安全な養殖を育てていくか」 です。

2050年、私たちの子や孫が食卓で魚を当たり前に食べられる社会を守るために、今から準備を始める必要があります。

参考文献

  • FAO. The State of World Fisheries and Aquaculture (SOFIA reports, 2022–2023).
  • 日本水産学会誌「進歩賞」関連記事(2024年)。
  • AISTプレスリリース:ニジマス腸内からの酪酸産生菌の発見(2025年)。
  • PLOS ONE (2025). Environmental drivers of salmon survival in the western North Pacific.
  • Marine Policy (2025). 日本における海洋保護区の社会的特性。
  • Frontiers in Marine Science (2025). レジームシフトと暗黒データの解析。
  • 各種ニュース記事(AP News, The Guardian, Financial Times)による漁業資源・気候変動関連報道。

コメント

タイトルとURLをコピーしました