「間違っていなかった人」が、なぜ黙殺されるのか
日本社会には、奇妙な現象が繰り返し起きる。
- ある人物が警鐘を鳴らす
- 当時は「極端」「陰謀論」「危険」と叩かれる
- 数年後、問題は事実として顕在化する
- だが「最初に言った人」の名前は出てこない
原口一博のケースは、この構造を象徴している。
彼の主張のすべてが正しかったわけではない。
しかし後に事実だったと確認された点が複数存在するにもかかわら
「原口一博の指摘は妥当だった」
という検証は、ほぼ行われていない。
これは偶然ではない。
日本の報道構造そのものが、そう設計されているからだ。
第1章 日本のメディアは「正解」を報じるが「検証」をしない
1-1 速報型メディアの致命的欠陥
日本のニュースは、基本的に次の流れで動く。
- 官庁が発表
- 記者クラブを通じて共有
- テレビ・新聞が一斉報道
- 次の話題へ移行
ここに「後日検証」は含まれていない。
- 判断は正しかったのか
- 情報は十分だったのか
- 異論はなぜ無視されたのか
こうした問いは、
記事にも番組にもならない。
なぜか?
👉 視聴率にならない
👉 責任問題に発展する
👉 誰も得をしない
からだ。
1-2 「間違えた」より「黙る」を選ぶ組織心理
もしテレビ局がこう言ったらどうなるか。
「当時、原口一博議員が指摘していた点は、結果的に正しかった」
この一文だけで、
- ではなぜ当時無視したのか
- なぜ陰謀論扱いしたのか
- 視聴者への説明責任は?
という検証地獄が始まる。
メディアにとって最も怖いのは、
「間違えたこと」そのものではない。
「間違えたことを認めさせられること」
それ自体なのだ。
第2章 原口一博が「持ち上げられない」人物である理由
2-1 メディアにとって最悪の条件をすべて満たす男
原口一博は、
- 元総務大臣(内部事情を知っている)
- 官僚答弁を疑う
- 記者クラブを批判
- SNSで自由発言
- テレビに依存しない
つまり
コントロール不可能な政治家。
メディアが恐れるのは、
「この人を評価した瞬間、
もっと危ない話をし始める」
という事態だ。
2-2 「当たった部分だけ評価する」ができない理由
本来であれば、
- この点は正しかった
- この点は言い過ぎだった
と冷静に評価すべきだ。
しかし日本の報道は白黒二元論になりがちだ。
一度「陰謀論側」とラベルを貼った人物を、
部分的に正しかったと認めることができない。
なぜならそれは、
「ラベル貼りが間違っていた」
と認めることになるからだ。
第3章「当たった主張」が報道されなかった具体事例
3-1 超過死亡の問題
原口一博は早期から、
「統計上、説明しきれない死亡増加がある」
と指摘していた。
当時の扱いは、
- 不安を煽る
- 科学を無視している
というものだった。
しかし数年後、
厚労省自身が超過死亡の存在を認めている。
ここで重要なのは、
- 超過死亡がワクチンだけの原因かどうか
ではない。
「存在を指摘したこと自体が正しかった」
という点だ。
だが報道では、
- 誰が最初に言ったか
- なぜ議論が遅れたか
は完全に切り落とされた。
3-2 ワクチン契約の不透明性
原口氏は国会で、
- 契約が黒塗りである
- 製薬会社の免責条項
を問題視した。
後に、
EU・日本・米国の契約が
概ね同様の構造であることが報道される。
しかし、
「原口一博の指摘通りだった」
という検証はない。
理由は明確だ。
👉 政府と報道の双方が、
👉 説明不足だったことを認める必要が出るから。
3-3 外国人による土地取得問題
原口一博は長年、
- 基地周辺
- 水源地
- 離島
の土地取得について警鐘を鳴らしていた。
結果、
政府は重要土地調査法を成立させる。
だがここでも、
- 法律の成立は報道
- 誰の警告がきっかけかは沈黙
という扱いだった。
第4章 官庁・スポンサー・専門家という「三重構造」
4-1 記者クラブという情報依存
日本の政治報道は、
官庁との協調関係なしには成立しない。
- レク
- 事前説明
- 非公式情報
これらを失うと、
報道は極端に不利になる。
原口一博の正しさを認めることは、
「官庁説明が不十分だった」
と認めることに直結する。
4-2 スポンサー産業への配慮
医薬品、通信、金融。
原口氏が問題視する分野は、
テレビ局にとって最大級のスポンサー領域でもある。
報道現場の心理はこうだ。
「今さら波風を立てる理由があるか?」
結果、沈黙が選ばれる。
第5章「外れた部分」だけが報道される理由
これは非常に単純だ。
- 分かりやすい
- 安全
- 誰も傷つかない
「やっぱりあの人は極端だった」
という物語は、
メディアにとって最も都合が良い結論だからだ。
第6章 原口一博の役割は「予言」ではない
ここを誤解すると、話がおかしくなる。
原口一博は、
- 科学者でも
- 医師でも
- 研究者でもない
彼の役割は、
「本当に検証したのか?」
「説明責任は果たされたか?」
と問うこと。
これは民主主義にとって
不可欠だが、最も嫌われる役割だ。
第7章 原口一博は“試金石”である
原口一博をどう扱うかを見ると、
- メディアの成熟度
- 社会の許容量
- 民主主義の健全性
が分かる。
彼を排除する社会は、
「不都合な問いを許さない社会」
でもある。
終章 なぜ私たちは「報道されない事実」に目を向けるべきか
最後に、最も大事な視点を書いておく。
報道されないこと = 間違い
ではない。
むしろ、
- 早すぎる指摘
- 検証が必要な話
- 責任が生じる問題
ほど、表に出にくい。
連載全体の結論
原口一博とは、
✅ 正解を押し付ける人物ではない
✅ 不安を煽ることが目的でもない
✅ 国民を考える主体として扱う政治家
彼の主張をどう評価するかは人それぞれだ。
だが少なくとも、
「検証もせずに切り捨ててよい存在ではない」
このことだけは、
事実として押さえておく必要がある。




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