どうも,おはよう,こんにちは,こんばんはミギーです。
今回は造幣局博物館に行ってみました。天神祭りから花火が見えるスポットでみたりすると思いますが、なんとこの博物館無料でいけます。
見ごたえのある国内外の貨幣約4000点取り扱っており貨幣の歴史や製造工程が紹介されており、日本や外国の貨幣、勲章など貴重な品々が多数展示されています。
造幣博物館とは?
造幣局とは
造幣局は、次の業務を行うこととなっています(個別法第11条)
- 貨幣の製造、販売及び鋳つぶしを行うこと。
- 貨幣回収準備資金に関する法律(平成14年法律第42号)第2条の規定により設置された貨幣回収準備資金に属する地金の保管を行うこと。
- 貨幣に対する国民の信頼を維持するために必要な情報の提供を行うこと。
- 勲章、褒章、賜杯、記章及び極印の製造を行うこと。
- 公共上の見地から必要な金属工芸品の製造及び販売を行うこと。
- 貴金属の精製及び品位の証明並びに地金及び鉱物の分析を行うこと。
- 1から6までの業務に関し、調査、試験、研究又は開発を行うこと。
- 1から7までの業務に附帯する業務を行うこと。
アクセス方法
展示物
展示物に関しては、過去につかっていた機械や造幣局創設などの歴史などを紹介しています。またオリンピックのメダルや世界の記念硬貨や歴史など魅力的なものをおいています。
また、近くにドン・キホーテもあるので飲み物の買い物はこちらの方が安いです♪
また、最後のコーナーには金貨に関する質問のゲームなどもあります。
造幣局を作った人々
五代友厚(1836~1885)【造幣機械の輸入に尽力】
薩摩藩(鹿児島県)出身の五代友厚は、明治の大阪経済の基礎を築いた人物です。外国事務局判事であり、川口運上所(現在の大阪税関)の初代長官を務めていた五代は、1868(慶応4)年、当時閉鎖状態にあった香港造幣局の機械一式の購入に尽力し、また、造幣局建築の設計監督者ウォートルスの雇用に関わるなど、造幣局の創業に貢献しました。
その後は関西経済界の重鎮として経済の発展振興に努め、大阪商工会議所初代会頭などを歴任しました。
由利公正(三岡八郎)(1829~1909)【新貨幣の製造準備を指揮】
福井藩出身で、藩主松平慶永(春嶽)に重用され、坂本龍馬とも親交があった由利公正(三岡八郎)は、「五箇条の御誓文」の起草者の一人としても知られています。新政府においては財政問題を担当し、新たな貨幣の仕様等の検討を指揮するとともに、1868(慶応4)年には会計官(後の大蔵省)判事として、外国事務局判事五代友厚らと協議し、イギリス人商人グラバーを通じて、当時閉鎖状態にあった香港造幣局の機械一式を6万両で購入する契約を締結しました。
その後は東京府知事、元老院議官などを歴任しました。
トーマス・グラバー(1838~1911)【造幣局の創業に貢献】
長崎の観光名所、世界遺産「旧グラバー住宅」で知られているイギリス人トーマス・グラバーは、1859(安政6)年に来日し、その後グラバー商会を設立、長崎を拠点に茶などの産品や艦船・武器を扱う商人として活躍しました。
彼は、五代友厚らの意を受けて、造幣局の設立のために当時閉鎖状態にあった香港造幣局の機械一式の購入につき仲介の労をとったほか、建築技師ウォートルス(造幣局の設計と工事監督を担当)の雇用や建築資材の輸入に関わるなど、造幣局の創業に貢献しました。
大隈重信(1838~1922)【近代的な通貨制度を建議】
佐賀藩出身で、早稲田大学の創立者として名高い大隈重信は、新政府参与であった1869(明治2)年、近代的な通貨制度の構築のため、造幣局判事久世喜弘とともに「通貨の単位は十進法を採るべきこと」、「貨幣の形状を先進国に倣い円形とすること」等を建議しました。これが1871(明治4)年の我が国初の近代的通貨法令「新貨条例」の制定に繋がっています。
自分たちのお金がどう作られているかを一度行ってみてはいかがでしょうか?
それではまたー♪
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