はじめに|なぜニュースは“数字”を避けるのか
毎日のニュースを見ていて、こう感じたことはないだろうか。
- 事件は報じられる
- 問題点は感情的に語られる
- しかし「具体的な数字」は、ほとんど出てこない
治安、医療、子育て、税金、外国人政策。
どれも生活に直結する話なのに、
これは偶然ではない。
数字を出すと、「誰が得をして、誰が損をしているのか」
第1章|治安は本当に「悪化していない」のか?
よく聞く説明がある。
「犯罪件数は長期的に見れば減っています」
これは事実だ。
しかし、それだけで安心していいのか?
見落とされがちな数字
- 検挙率の低下
- 不起訴処分の増加
- 軽微犯罪として処理される割合の増加
つまり、
- 事件としてカウントされない
- 逮捕されない
- 逮捕されても裁かれない
この流れが強まれば、統計上の犯罪件数は減る。
だが体感治安はどうか。
万引き、迷惑行為、深夜トラブル、公共空間の荒れ。
多くの人が「昔よりおかしい」と感じている。
数字を「どこまで拾っているのか」を語らなければ、
統計は現実を正確には映さない。
第2章|医療費と生活保護で語られない数字
医療や福祉の話になると、ニュースはさらに慎重になる。
医療費で触れられにくい点
- 国籍別の医療費負担構造
- 短期滞在・留学生・技能実習生の扱い
- 高額医療制度の実際の利用構造
これは「誰かを叩く話」ではない。
制度設計の話だ。
にもかかわらず、数字を出すと
「差別だ」「ヘイトだ」という感情論にすり替えられ、
議論そのものが止まってしまう。
結果、
- 制度の歪みは修正されない
- 負担は黙っている層に集中する
という構造が固定化される。
第3章|子育て支援という“数字のマジック”
「日本は子育て支援が手厚い」
この言葉も、数字を見ると印象が変わる。
よく強調される数字
- 出産一時金
- 一時的な給付金
- 無償化の一部
あまり語られない数字
- 0〜18歳までの総コスト
- 教育費の累積
- 習い事・塾・保育外費用
一時金はニュースになるが、継続負担は語られない。
だから多くの家庭がこう感じる。
「支援はあるはずなのに、ずっと苦しい」
これは感覚の問題ではなく、
数字の切り取り方の問題だ。
第4章|なぜメディアは数字を出さないのか
理由は単純ではないが、構造的な要因はある。
① スポンサー構造
数字は政策評価につながる
→ 政治・行政との摩擦が生じやすい
② 炎上リスク
数字は誤解されやすい
→ 説明コストが高い
③ 「分かりやすさ」の放棄
感情の方が視聴率を取れる
→ 数字は敬遠される
こうして、
一番大事な判断材料が、最初から外される。
第5章|数字を知らない国民は、判断できない
民主主義は「感情」ではなく「判断」で成り立つ。
しかし、
- 数字を知らされない
- 選択肢の比較も示されない
この状態で「自己責任」「選挙で選んだ結果」と言われても、
それはあまりに不公平だ。
おわりに|数字は冷たいが、嘘をつかない
数字は人の感情を救ってはくれない。
だが、現実から目を逸らさせもしない。
本当に必要なのは、
- 楽観的なスローガンでも
- 不安を煽る言葉でもなく
**「判断できるだけの材料」**だ。
数字を出すことは、国民を信じることでもある。
そして今の日本は、
まだそこまで国民を信じきれていないように見える。



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