はじめに
香港の民主派メディア経営者、ジミー・ライ(黎智英)
これは一人の実業家・ジャーナリストの裁判ではない。
**「香港という自由都市が、
同時に、
作者は何を考えているのか(結論)
作者がこの一連の出来事から感じ取っているのは、次の3点だ。
① 香港の「一国二制度」は、すでに事実上死んだ
国家安全法は、もはや「安全保障のための法律」ではない。
政権にとって都合の悪い言論を合法的に消すための道具に変質して
ジミー・ライ氏が有罪になった理由は明白だ。
彼が犯罪者だったからではない。
**「自由を信じ、自由を語り、自由を広めたから」**である。
② 裁かれているのはライ氏ではなく「言論そのもの」
この裁判の本質は、
✔ 外国勢力と会ったこと
✔ 制裁を求めた発言
✔ 政権批判を行ったメディア運営
これらすべてが犯罪とみなされた点にある。
つまり今の香港では、
「権力を批判する言論」
=「国家安全を脅かす犯罪」
という論理が公式に成立してしまった。
これは法治国家ではない。
恐怖による統治だ。
③ 各国の「懸念表明」は、正直言って生ぬるい
G7は声明を出した。
アメリカもイギリスもEUも「懸念」を示した。
しかし、現実はどうか。
ライ氏は今も拘束され、
香港のメディアは次々に沈黙し、
国家安全法は一切緩められていない。
言葉だけの非難は、独裁にとって何の痛手にもならない。
国家安全法が示した「新しい支配モデル」
国家安全法の恐ろしさは、
✔ 条文が極端に曖昧
✔ 解釈は当局次第
✔ 量刑は終身刑まで可能
という点にある。
この法律の下では、
「今日は合法だった言論が、明日は犯罪になる」。
つまり、市民は常に“自分で自分を検閲”せざるを得なくなる。
これは銃や戦車よりも強力な支配手段だ。
なぜ世界は本気で止められないのか
作者はこう考える。
- 中国経済への依存
- サプライチェーンの現実
- 軍事的衝突への恐怖
これらが、
「自由を守る」という原則を後回しにさせている。
だが、ここで妥協すれば次はどこだ?
台湾か。
東南アジアか。
それとも、表現の自由を当然だと思っている私たちの社会か。
日本人にとって他人事ではない理由
この問題は「香港の話」で終わらない。
- 表現の自由は一度失えば、取り戻すのは極めて困難
- 法律は、使い方次第で簡単に“武器”になる
- 「安全」の名の下で自由が奪われる構図は、どの国でも起こり得る
ジミー・ライ氏は、
未来の私たちの姿を、少し先に生きているだけなのかもしれない。
おわりに
ジミー・ライ氏の有罪判決は、
「香港の民主主義の死刑宣告」であり、
同時に、自由を当然だと思ってきた世界への警告だ。
沈黙は中立ではない。
沈黙は、常に強者の側に立つ。
この事実を、私たちは忘れてはいけない。



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