【9月12日生まれ】長友佑都とはどんな人物?大学で太鼓を叩いた控え選手からインテル、日本人初W杯5大会連続出場まで「努力で世界へ行った男」の40年

話題

はじめに|「身長170cm」の日本人が世界最高峰へ行くまで

サッカー選手というと、身体能力。才能。

幼いころから全国大会。ユース代表。高校選手権スター。そして、プロ。

そんなエリートコースを想像するかもしれません。

長友佑都は少し違います。

1986年9月12日。愛媛県西条市。誕生。東福岡高校。明治大学。

しかし大学では、最初からスターではありません。

試合に出られない。ベンチにも入れない。スタンド。

そこで、太鼓を叩いて仲間を応援していた。ところが数年後。日本代表。

さらに数年後。イタリア。

そして、世界的名門インテル。さらに2026年。40歳になる直前まで日本代表。

日本人初の、ワールドカップ5大会連続出場。

映画のような人生です。でも、魔法が起きたわけではありません。

長友の人生を追いかけると、一つの言葉が何度も出てきます。努力。


1986年9月12日、愛媛県西条市に生まれる

長友佑都は1986年9月12日、愛媛県西条市に生まれました。公式プロフィールでは身長170cm、体重68kg、右利きとされています。

世界のサッカー選手として考えると、170cm。大きくありません。

特に欧州では、180cmを超える選手。190cmを超える選手。普通にいます。

しかし、長友には別の武器がありました。スピード。運動量。スタミナ。対人守備。

そして、メンタル。後にFC東京も長友を「豊富な運動量と抜群のスピードを持つサイドバック」と紹介しています。

サッカーとの出会い

長友は小学生のころからサッカーを始めます。

しかし、「将来絶対に日本代表になる天才少年」。というタイプではありませんでした。中学。高校。大学。少しずつ上へ進んでいく。

長友のキャリアは、いきなり飛び級していく物語ではありません。

ここが、長友という選手の面白さです。

東福岡高校へ

高校は、サッカーの名門、東福岡高校。

現在まで数多くのプロサッカー選手を送り出している学校です。

全国から実力者が集まります。

つまり、地元では上手い。だけでは、試合に出られません。長友はここで、競争の厳しさを経験します。

後に世界最高峰で生き残るための土台が、少しずつ作られていきます。

明治大学へ進学

2005年。長友は、明治大学へ進学します。

ここから、人生が大きく動き始めます。

ただし、良い方向へ一直線。ではありません。大学サッカー部。選手。

当然、試合に出たい。ところが、長友は腰を痛めるなどして思うようにプレーできない時期を経験します。

そして、ベンチにも入れない。

「太鼓を叩いていた長友」

現在の長友しか知らない人には、かなり信じられない話です。

試合に出られない。ベンチにも入れない。

それでも、チームの一員。だから、スタンドで応援する。長友は、太鼓を叩きます。しかも、一生懸命。後に長友がインテルへ移籍した際、大学時代にスタンドで太鼓を叩いていた映像が話題になりました。

普通なら、「なんで俺が試合に出られないんだ」。と腐ってもおかしくありません。

でも、太鼓を叩く。この話は、長友という人物を象徴しています。

ここで腐らなかった

スポーツ選手だけではありません。会社でも同じです。希望の部署に行けない。

昇進できない。評価されない。同期に抜かれる。仕事を任せてもらえない。

こういう時、人間は腐りやすい。

でも長友は、その場所でできることをやった。

そして、自分の身体を鍛え直します。

「体幹」という武器

長友といえば、体幹トレーニング。というイメージを持っている人も多いでしょう。

身体が大きくない。だったら、大きな選手と当たっても負けない身体を作る。

バランス。姿勢。筋肉。柔軟性。スタミナ。

自分の弱点を、努力によって武器へ変えていきました。

これは後の欧州挑戦で、非常に重要になります。

大学選抜で評価が急上昇

2006年。全日本大学選抜へ選出。

ここで、長友の評価が一気に上がります。

公式プロフィールでも、2006年の全日本大学選抜で注目を集めたことが紹介されています。

スタンドで太鼓。大学選抜。この変化。努力しても、しばらく何も起きない。

でも、あるところを超えると、突然周囲から見えるようになる。

長友の人生には、このパターンが何度もあります。

FC東京が長友を発見する

そして、FC東京。2007年。JFA・Jリーグ特別指定選手としてFC東京へ。

2008年。正式加入。プロサッカー選手になります。

大学でスタンドにいた選手が、数年でJリーガー。

しかし、ここからさらに加速します。

プロ1年目でいきなり活躍

2008年。プロ1年目。長友はJリーグで29試合出場、3得点。

FC東京公式記録にも残っています。

さらに、Jリーグ優秀選手賞。優秀新人賞。ダブル受賞。

一気に、「期待の若手」。になります。

そして日本代表へ

2008年。日本代表。キリンカップのコートジボワール戦で、

A代表デビュー。さらに、北京オリンピック。

日本代表。わずか数年前。大学で試合に出られない。

それが、日本代表。ものすごいスピードです。

長友の何が評価されたのか

長友の最大の特徴は、サイドバックなのに、何度でも走る。

前へ。戻る。また前へ。また戻る。90分。続ける。

サイドバックは、守備だけではありません。攻撃参加。クロス。

相手ウイングへの対応。カバーリング。運動量が必要です。

長友の身体能力が、このポジションへ完璧にハマりました。

2010年南アフリカW杯

そして、人生最初のワールドカップ。2010年。南アフリカ大会。日本代表。

長友、23歳。日本は、カメルーン。オランダ。デンマーク。と対戦。決勝トーナメント進出。

パラグアイ戦。PK戦。敗退。しかし、長友のプレーは、世界に知られます。

そしてヨーロッパへ

ワールドカップ後。2010年7月。イタリア。ACチェゼーナへ移籍。セリエA。

当時も世界最高峰リーグの一つ。

ここでも、長友は走ります。守ります。攻めます。

すると、わずか半年。とんでもない話が来ます。

2011年1月、インテル移籍

インテル・ミラノ。世界的名門。2010年には、セリエA。コッパ・イタリア。

UEFAチャンピオンズリーグ。の三冠を達成していたクラブです。

そこへ、日本人DF。長友佑都。2011年1月。移籍。

公式プロフィールでも、2011年1月にインテル移籍が決まったことが紹介されています。

「大学で太鼓」からインテルまで約5年

ここがすごい。2006年ごろ。明治大学。スタンド。太鼓。2008年。プロ。日本代表。

2010年。ワールドカップ。イタリア。2011年。インテル。約5年。

人生は、数年で大きく変わることがあります。

世界的スターたちの中へ

インテルには、世界中の代表選手がいます。体格。技術。スピード。経験。全部、

世界トップクラス。そこへ、170cmの日本人。普通なら、圧倒されてもおかしくありません。

でも長友は、コミュニケーションを取る。走る。身体を張る。チームへ溶け込む。

長友の強みは「人間関係」だった

海外で成功するには、サッカーだけ上手くても足りません。言葉。文化。食事。生活。チームメート。監督。ファン。全部違います。

長友は、人との距離を縮める能力が非常に高い選手でした。

インテルでも、チームメートと良好な関係を築きます。サッカー技術だけではなく、「人に好かれる力」も海外で生き残る武器になりました。

インテルでキャプテンマーク

2013年12月22日。ミラノダービー。インテル対ACミラン。後半。主将カンビアッソが交代。

キャプテンマーク。渡された相手。長友佑都。日本人として初めて、ミラノダービーでインテルのキャプテンマークを巻きました。大学で太鼓。世界的名門インテルのキャプテン。人生とは分からないものです。

しかしインテル時代は成功だけではない

当然、ずっと順調ではありません。監督交代。怪我。ポジション争い。ベンチ。

ベンチ外。移籍報道。インテルほどのクラブでは、毎年、世界中から選手が来ます。

昨日レギュラー。今日ベンチ。普通です。

長友も2013年にはベンチ外となる試合などを経験しています。

それでも、2011年から2018年まで、

約7年間。インテルに所属しました。海外トップクラブで7年。

これは、移籍すること以上に難しいことです。

2014年ブラジルW杯

2度目。2014年。

ブラジル。しかし、日本代表はグループリーグ敗退。期待されていたチームだけに、

大きな失望。長友も、悔しい大会となります。成功だけではありません。

2018年、ガラタサライへ

2018年1月。長友は、インテルを離れます。移籍先。

トルコ。ガラタサライ。世界的な人気クラブです。

当初は期限付き移籍。しかし、すぐレギュラー。そして、

2017-18シーズン。リーグ優勝。最終節にも先発フル出場し、優勝に貢献しました。

翌年も優勝

2018-19シーズン。また優勝。

ガラタサライ、リーグ連覇。長友も優勝を決める大一番でフル出場しました。

つまり、イタリア。トルコ。複数の国で、トップレベルを経験。

2018年ロシアW杯

3度目。ロシア。日本代表は、コロンビア。セネガル。ポーランド。グループ突破。

決勝トーナメント。ベルギー。日本、2-0リード。しかし、2-3。逆転負け。あと少し。世界ベスト8。届かなかった。長友は全4試合にフル出場し、日本の決勝トーナメント進出へ貢献しました。

平愛梨との結婚

サッカー人生と並んで、長友にとって大きな存在となったのが家族です。

2017年1月。タレントの平愛梨と結婚。

そして、4人の男の子に恵まれます。

長男2018年。次男2019年。三男2021年。四男2023年。

「アモーレ」

長友と平愛梨といえば、「アモーレ」。

という言葉を覚えている人も多いでしょう。イタリア語で、愛する人。愛。という意味。この言葉が日本でも大きな話題になりました。

しかし現在の長友にとって、家族は単なる芸能ニュースではありません。

40歳近くまで現役を続けるうえで、常に重要な支えになっています。

長友自身が「妻の方がメンタルが強い」と語る

2026年。5度目のワールドカップを目指していた長友は、

家族について、「言語化できないくらい大きな存在」という趣旨の話をしています。

さらに妻・平愛梨について、自分よりメンタルが強いとも語っています。

トップアスリート。メンタルモンスター。といわれる長友。

その長友が、「妻の方が強い」。面白い話です。

2020年、フランスへ

ガラタサライ後。2020年。フランス。オリンピック・マルセイユへ。

30代半ば。普通なら、日本へ戻ってもおかしくありません。

しかし、まだ欧州。イタリア。トルコ。フランス。3カ国のトップリーグでプレー。

2021年9月12日、FC東京へ帰還

そして、2021年9月12日。偶然にも、35歳の誕生日。

FC東京が、長友の完全移籍加入を発表しました。

約11年ぶり。原点へ戻る。

しかし、キャリア終了ではありません。

ここから、もう一度日本代表へ。

2022年カタールW杯

4度目。カタール。当時36歳。日本代表。グループリーグ。

ドイツ。勝利。コスタリカ。敗戦。スペイン。勝利。世界を驚かせます。

そして、決勝トーナメント。クロアチア。PK戦。敗退。また、ベスト8へ届かない。

「ブラボー!」

カタールW杯で、長友の代名詞になった言葉。「ブラボー!」試合後。

インタビュー。ロッカールーム。

とにかく、ブラボー。SNSでも、大流行。

サッカーを見ない人まで、長友を知りました。

ここも、長友らしい。サッカーだけではなく、人を巻き込む。

しかし代表キャリアは終わらなかった

36歳。4大会W杯。普通なら、日本代表引退。と思います。

でも、長友はやめません。

次。2026年。40歳になる年。5大会目。普通なら、無理。しかし、長友は目指します。

若手と競争する39歳

日本代表のサイドバック。若い選手。海外組。身体能力。スピード。次々に出てきます。

39歳。普通なら、衰える。それでも、トレーニング。食事。睡眠。身体管理。経験。全部を使って、代表争いへ。

2026年3月、負傷

順調ではありません。3月。右太腿を負傷。

ワールドカップまで、約3カ月。

39歳。怪我。これはかなり厳しい状況です。

しかし、復帰。5月。森保一監督。代表メンバー発表。長友佑都。選出。

監督は直前のプレーについて、「W杯基準」と評価しました。

5大会連続ワールドカップ

2010。南アフリカ。2014。ブラジル。2018。ロシア。2022。カタール。2026。北中米。5大会連続。日本人初。アジア人としても歴史的な記録です。

そして本当にピッチへ

「メンバーに入っただけ」。ではありません。2026年6月26日。日本対スウェーデン。

後半。長友佑都。途中出場。39歳。これによって、日本人初のW杯5大会連続出場を正式に達成しました。

日本はブラジルに敗れる

日本代表。グループ突破。決勝トーナメント。ブラジル。1-2。敗退。

長友の5度目のワールドカップも終了。長友は大会後、今まで出場した日本代表の中でも非常に強いチームだったという趣旨で後輩たちを称賛しました。

自分の出場時間が少なくても、ベンチから声を出す。後輩を鼓舞する。大学時代。

スタンドで太鼓を叩いていた長友。40歳近くになっても、本質は変わっていないのかもしれません。

2026年9月12日、40歳

そして今日。2026年9月12日。長友佑都、40歳。現在もFC東京所属です。

FC東京の2026年登録でも、DF。背番号5。身長170cm。体重68kg。と掲載されています。

20歳ごろ。大学のスタンド。40歳。ワールドカップ5大会。20年間。何が長友を支えたのでしょうか。

長友から学べること①「今いる場所」でできることをやる

これが、一番大きいと思います。試合に出られない。だから、何もしない。ではない。

太鼓を叩く。仲間を応援する。身体を作る。チャンスを待つ。すると、チャンスが来る。

大学選抜。FC東京。日本代表。海外。インテル。

人生は、「準備ができた人のところへチャンスが来たとき」一気に変わることがあります。

学べること②弱点は消さなくてもいい

身長170cm。欧州では小さい。だったら、190cmになる。無理です。

変えられない。だから、別の武器を作る。

スピード。スタミナ。体幹。運動量。対人能力。メンタル。

長友は、「弱点をなくす」より、「強みで弱点を上回る」方向へ進みました。

仕事でも同じです。

学べること③努力はすぐ結果にならない

大学時代。トレーニング。すぐ試合に出られた?違う。でも、続けた。その後、一気に評価が上がります。努力→結果。ではありません。

実際は、努力。努力。努力。何も起きない。努力。まだ起きない。

そして、ある日。結果。この時間差を理解している人は、強い。

学べること④年齢を言い訳にしない

30歳。サッカーではベテラン。35歳。かなりベテラン。39歳。普通なら引退。でも、

長友。ワールドカップ。40歳。FC東京。もちろん、誰でも40歳までプロ選手になれる。という話ではありません。重要なのは、「年齢だから無理」と自分で可能性を閉じなかったこと。

学べること⑤人に好かれる力

インテル。ガラタサライ。マルセイユ。海外で長くプレー。技術だけではありません。チームメート。監督。スタッフ。ファン。文化。全部違う。

そこで、人間関係を作る。長友のキャリアは、コミュニケーション能力の重要性も教えてくれます。仕事でも、能力100。人間関係0。より、能力80。協力。信頼。コミュニケーション。

こちらの方が、長く活躍できることがあります。

学べること⑥「主役」でなくてもチームへ貢献できる

2026年ワールドカップ。長友は、毎試合スタメンではありません。

しかし、ベンチから、誰よりも声を出す。鼓舞する。経験を伝える。

チームを支える。これは、大学時代の太鼓と同じ。役割が変わっても、チームのためにできることを探す。

管理職にも、かなり通じる考え方です。自分が全部やる。ではない。

若い人がプレーする。自分は、経験。声。判断。サポート。で勝たせる。

40歳の長友は、選手としてだけではなく、リーダーとしての価値も大きくなっています。

学べること⑦家族を力に変える

妻。平愛梨。4人の息子。2026年。5大会目のW杯選出会見。家族がサプライズ登場。

長友は、妻への感謝を語りました。

世界トップレベルで、20年近く競争する。

一人では難しい。食事。子育て。メンタル。移籍。海外生活。怪我。代表。家族の存在が、長いキャリアを支えています。

長友佑都とは結局どんな人物なのか

1986年。愛媛。誕生。東福岡。明治大学。試合に出られない。スタンド。太鼓。

身体を鍛える。大学選抜。FC東京。日本代表。北京五輪。2010年。南アフリカW杯。チェゼーナ。2011年。インテル。2013年。ミラノダービーでキャプテンマーク。

2014年。ブラジルW杯。2017年。平愛梨と結婚。2018年。ガラタサライ。

ロシアW杯。トルコリーグ優勝。2019年。リーグ連覇。2020年。マルセイユ。

2021年。FC東京復帰。2022年。カタールW杯。「ブラボー」。2026年。北中米W杯。

5大会連続。日本人初。そして、今日。40歳。

長友の人生を、「サッカーの天才」。という言葉だけで説明するのは、

少し違うと思います。むしろ、「自分の弱点を知り、努力を続け、与えられた場所で価値を出し続けた人」という方が近い。

まとめ|大学で太鼓を叩いていた青年は、40歳で日本サッカー史に残る選手になった

長友佑都の人生で、一番面白い場面はどこでしょう。インテル移籍?ワールドカップ?ミラノダービーのキャプテン?

ガラタサライ優勝?ブラボー?

5大会連続W杯?もちろん、全部すごい。

でも、原点を見ると、大学のスタンド。

太鼓。があります。試合に出られない。

でも、仲間を応援する。

そして、自分の身体を鍛える。その時、長友自身も、数年後にインテルのユニフォームを着ているとは想像していなかったかもしれません。

人生では、今の立場だけを見ると、「自分は評価されていない」。「この仕事に意味があるのか」。「もっと違う場所に行きたい」。と思うことがあります。

でも、長友のキャリアを見ると、今いる場所で準備することの意味が分かります。

大学。太鼓。大学選抜。FC東京。日本代表。ワールドカップ。チェゼーナ。インテル。

世界。そして、20年後。ワールドカップ5大会。人生は、一直線ではありません。

怪我。ベンチ。ベンチ外。敗戦。移籍。年齢。何度も壁が来る。

でも、そのたび、できることを探す。長友は、170cmという身体を、言い訳にしなかった。大学で試合に出られないことを、言い訳にしなかった。

30歳を、言い訳にしなかった。35歳を、言い訳にしなかった。39歳も、言い訳にしなかった。そして、2026年。日本人初となる、FIFAワールドカップ5大会連続出場。

今日、2026年9月12日。長友佑都、40歳。スタンドで太鼓を叩いていた青年は、日本サッカー史に残る選手になりました。長友の人生から学べることを、一つだけ選ぶなら、

これかもしれません。「今の自分が完成形だと思わないこと。」

20歳で控え。24歳でワールドカップ。25歳でインテル。31歳で結婚。36歳で4度目のW杯。39歳で5度目。40歳で現役。人は、何歳からでも、今の場所からでも、次の自分へ進むことができます。

長友佑都の40年間は、才能だけではなく、「続ける力が人生をどこまで変えられるのか」を見せてくれる物語なのです。

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