
こんにちは、ミギーです。
「将棋の羽生さん」といえば、将棋を知らない人でも名前を聞いたことがあるレベルの超有名人ですよね。国民栄誉賞を受賞し、平成という時代を将棋界のトップで走り続けた棋士——それが羽生善治九段です。
今回はそんな僕が大好きな羽生先生について、記録的な凄さから、ネットで語り継がれている人間味あふれる面白エピソードまで、初心者の方にもわかりやすく徹底的にまとめてみました。将棋のルールを知らなくても楽しめる内容になっているので、ぜひ最後まで読んでみてください。
目次
- 羽生善治九段とは?基本プロフィール
- 歴代1位「通算タイトル99期」はどれくらい凄いのか
- ネットで語り継がれる伝説のコピペを解説
- 中学生プロ棋士から七冠独占までの道のり
- 羽生善治の伝説的エピソード集(厳選40選)
- 「無冠」からの復活と藤井聡太との世代対決
- 国民栄誉賞と永世七冠の本当の凄さ
- 将棋だけじゃない!チェスでも日本トップクラス
- まとめ
1. 羽生善治九段とは?基本プロフィール
まずは基本的なプロフィールからおさらいしておきましょう。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 氏名 | 羽生善治(はぶ よしはる) |
| 生年月日 | 1970年9月27日 |
| 出身地 | 埼玉県所沢市(育ちは東京都八王子市) |
| 師匠 | 二上達也九段(故人) |
| 段位 | 九段 |
| プロ入り | 1985年(中学生プロ棋士) |
| 初タイトル | 1989年 竜王位 |
| 七冠独占 | 1996年2月 |
| 永世七冠資格獲得 | 2017年 |
| 国民栄誉賞受賞 | 2018年 |
| 通算タイトル獲得数 | 99期(歴代1位) |
将棋にまったく詳しくない方向けに簡単に説明すると、将棋界には「竜王」「名人」「王位」「叡王」「王座」「棋王」「王将」「棋聖」という8つの大きなタイトル(王座のようなもの)があります。羽生先生は、このうち叡王を除く7つのタイトルすべてで、一定期間以上保持し続けた棋士だけがもらえる「永世称号(えいせいしょうごう)」を獲得しており、これは「永世七冠(えいせいななかん)」と呼ばれる、史上でも羽生先生だけが持つ称号です。

将棋界には8つのタイトルがあるけど、羽生先生は叡王以外の7つ全部で「永世」の資格を持ってるんだ。これがどれだけ異常な記録か、この後じっくり説明していくね。
2. 歴代1位「通算タイトル99期」はどれくらい凄いのか
羽生先生の凄さを語るうえで絶対に外せないのが、この「通算タイトル獲得数99期」という数字です。これは将棋界の歴史上、断トツの歴代1位の記録です。
タイトルごとの獲得内訳
日本将棋連盟の公式データによると、羽生先生のタイトル獲得内訳はおおよそ以下のようになっています(獲得合計99期)。
| タイトル | 獲得期数(目安) |
|---|---|
| 竜王 | 7期 |
| 名人 | 9期 |
| 王位 | 18期 |
| 王座 | 24期 |
| 棋聖 | 16期 |
| 棋王 | 13期 |
| 王将 | 12期 |
| 合計 | 99期 |
さらに驚くべきは、タイトル戦への登場回数です。羽生先生はデビューからこれまでに138回もタイトル戦の番勝負に登場しており、そのうち99回でタイトルを獲得しています。つまり、タイトル戦に出場すれば7割以上の確率で優勝しているということになります。将棋という、運の要素がほとんどない完全情報ゲームでこの勝率を長年キープし続けているのは、控えめに言っても異常です。
歴代2位以下との差
ちなみに歴代のタイトル獲得数ランキングでは、伝説的な大棋士である大山康晴十五世名人が80期で歴代2位、中原誠十六世名人が64期で歴代3位となっています。現在活躍中の藤井聡太竜王・名人も驚異的なペースでタイトルを積み重ねていますが、それでも2026年時点でまだ30期台であり、羽生先生の99期には遠く及びません。
つまり羽生先生の記録は「歴代2位に20期近い差をつけている」という、ちょっと現実離れした数字なのです。
よく見る「羽生の凄さコピペ」
将棋ファンの間で昔からよく引用される、こんな説明があります。
A:羽生はどれくらい凄いの? B:簡単に言うと、日本の将棋界には7つのタイトルがある。 A:うん。 B:過去10年間だと、延べ70人のタイトルホルダーがいるわけだ。 A:うんうん。 B:その70人のうち、半分の35人が羽生だ。 A:( ゚д゚ )
さらに拡張されたバージョンでは、「1995年から2014年までの20年間、140人分のタイトルホルダーの枠のうち、半分以上の72人分が羽生先生だった」という説明も語られています。

20年間、タイトルホルダーの半分以上が1人の人間だったってことだよね。これ、他のジャンルで例えると本当に意味がわからない数字だと思う。
3. ネットで語り継がれる伝説のコピペを解説
羽生先生に関しては、将棋ファンの間で長年語り継がれている有名な「コピペ」がもう一つあります。
おまえら、もし地球に将棋星人が攻めてきて、向こうの大将と地球代表が将棋一番勝負で対決し、負けたら植民地にされるという事態になったら、地球代表は絶対羽生でないとイヤだろ? 深浦でもいいのか?深浦に地球の命運を託せるのか? 羽生をけなしてるやつは地球規模で考えるんだ
このコピペは元々2ちゃんねる(現5ちゃんねる)の将棋板で生まれたとされるネタで、後に将棋以外のジャンル(スポーツや格闘技、ゲームなど)にも応用され、「〇〇星人が攻めてきたら地球代表は絶対△△」という形式のミームとして広く使われるようになりました。
この一連のネタから、羽生先生には「将棋星人(しょうぎせいじん)」というちょっと不思議なあだ名までついています。「人間離れした強さを持つ存在」という、ある種の畏敬の念が込められた愛称と言えるでしょう。
なお、文中に登場する「深浦」とは深浦康市九段のことで、実際には竜王のタイトルを獲得したこともあるトップ棋士の一人です。あくまで羽生先生の突出した強さを表現するための、いわば「たとえ話」として名前が使われているだけであり、深浦九段自身を貶める意図のネタではないという点は補足しておきたいところです。
4. 中学生プロ棋士から七冠独占までの道のり
ここからは、羽生先生がどのようにして将棋界のトップに上り詰めていったのか、簡単に年表で振り返ってみましょう。
- 1970年9月27日:埼玉県所沢市に生まれる。
- 小学1年生:将棋を習い始める。
- 小学6年生:小学生名人戦で優勝。
- 1982年:二上達也九段に入門し、奨励会(プロ棋士養成機関)に入会。
- 1985年:14歳でプロ入り(四段)。加藤一二三九段、谷川浩司九段に続く、史上3人目の中学生プロ棋士となる。
- 1988年:新人王戦で優勝。
- 1989年:竜王戦で史上最年少(当時)記録となる19歳2か月でタイトルを初獲得。
- 1994年:米長邦雄永世棋聖を破り、名人位を初獲得。
- 1996年2月14日:竜王・名人・棋聖・王位・王座・棋王・王将——当時存在した将棋界の全タイトル7冠を、史上初めて一人で独占。
- 2017年:第30期竜王戦で渡辺明を破り竜王に復位。これにより、7つのタイトルすべてで永世称号の資格を満たす「永世七冠」を史上初めて達成。
- 2018年:国民栄誉賞を受賞。
- 2019年:通算勝利数で大山康晴十五世名人の記録を抜き、歴代最多勝記録を更新。
- 2022年:通算1500勝を達成。
特に1996年の「7冠独占」は、当時としては絶句するようなニュースでした。将棋界には元々「1人の棋士が同時に複数のタイトルを保持する」こと自体は珍しくありませんが、存在するタイトルすべてを一人で独占するというのは前代未聞であり、この出来事は新聞の一面を飾るほどの社会的な話題になりました。

14歳でプロデビューして、25歳で当時存在した全タイトルを一人で独占……。年表だけ見ても、もう普通の人生じゃないよね。
5. 羽生善治の伝説的エピソード集(厳選40選)
ここからが本題です。羽生先生に関しては、対局の強さだけでなく、その飄々とした人柄やちょっとズレたエピソードもファンの間で愛されています。ネット上で長年語り継がれている逸話を、できる限りわかりやすく解説していきます。
なお、一部のエピソードは公式な記録として確認できるものですが、一部は将棋ファンの間で語り継がれてきた「有名な逸話・都市伝説的な話」であり、細部の事実関係まで100%確認が取れているわけではないものも含まれます。その点はご了承のうえ、あくまで羽生先生の人間味を楽しむエンタメとして読んでいただければと思います。
エピソード1:中学生でプロ棋士になった
先ほども触れた通り、羽生先生は1985年、14歳でプロ入りしました。これは加藤一二三九段、谷川浩司九段に続く史上3人目の快挙で、当時から「末恐ろしい少年」として将棋界の注目を集めていました。
エピソード2:年収1億円超でも電車通勤
タイトルを複数保持し、年収が1億円を超えていたとされる時期でも、羽生先生は変わらず電車で対局場に通っていたというエピソードが有名です。将棋界唯一の「1億円プレーヤー」と呼ばれた棋士が、庶民的な通勤スタイルを貫いていたというギャップが、多くのファンに愛される理由のひとつになっています。
エピソード3:加藤一二三九段との長電話
「ひふみん」の愛称で知られる加藤一二三九段とは、何時間も電話で将棋談義に花を咲かせることができる間柄だったと言われています。個性派揃いの棋士の中でも、特にマイペースな加藤九段と長時間付き合える羽生先生の懐の深さがうかがえるエピソードです。
エピソード4:寝ぐせで調子が判断される
対局前の羽生先生は、その日の寝ぐせの具合で「今日は調子が良さそうだ」「今日はちょっと危ないかもしれない」と、周囲の関係者やファンから冗談交じりに占われていたという逸話があります。トップ棋士の勝敗を、寝ぐせという極めて人間くさい要素で語ってしまうあたりが、羽生先生の愛されキャラぶりを物語っています。
エピソード5:趣味はチェス
将棋のプロ棋士でありながら、羽生先生の趣味は「チェス」であることも広く知られています。しかもただの趣味の域を超えており、後述する通り国内トップクラスの実力を持つ、いわば「二刀流」の頭脳の持ち主です。
エピソード6:趣味のチェスで日本一に
羽生先生は将棋の傍らで嗜んでいたチェスにおいても、全日本チェス選手権の常連であり、日本トップクラスの実力者として知られています。チェスプレイヤーの小島慎也氏(全日本チェス選手権優勝経験者)との公開対局では、先手番を持った羽生先生が勝利を収めたこともあり、専門のチェスプレイヤーからも「日本チェス界では羽生さんが一番強い」と評されるほどの実力です。本業の将棋で頂点を極めながら、余暇として始めた別のボードゲームでも国内トップレベルに到達してしまうという、常人離れした頭脳の使い方がうかがえます。
エピソード7:無人島に持っていくなら「チェスセット」
「無人島に一つだけ持っていくなら何か」という定番の質問に対し、羽生先生は「チェスセット」と答えたというエピソードが語り継がれています。将棋盤ではなくチェスセットを選ぶあたりに、生粋のボードゲーム好きらしい一面がのぞきます。
エピソード8:驚異的な棋譜記憶力
羽生先生の記憶力を試す企画で、ある対局の棋譜(指し手の記録)を渡され、わずか2分間で内容をすべて記憶し、初手から投了図(対局が終わった局面)までを将棋盤の上で完全に再現してみせたというエピソードがあります。トップ棋士には棋譜を記憶する能力が求められることが多いですが、その中でも際立った記憶力の持ち主として紹介されることの多い逸話です。
エピソード9:数々の異名を持つ男
羽生先生には、時代とともに移り変わる形でさまざまな異名(ニックネーム)がつけられてきました。若手時代の鋭い攻めから「恐怖の赤ヘル」、眼鏡姿でのクールな指し回しから「鬼畜眼鏡」、そして後述するウサギ愛から「ウサギおじさん」など、多彩な呼び名が存在します。それぞれの異名は、その時代ごとの羽生先生のキャラクターやプレースタイルを反映したものと言えるでしょう。
エピソード10:解説者の予想を覆す即詰み
対局中継の解説者が「これは羽生さんの負けですね」と半ば結論づけていたような苦しい局面から、一気に相手を「即詰み(すぐに詰んでしまう状態)」に追い込んで逆転勝ちしてしまう——そんな衝撃的な将棋を何度も見せてきたことも、羽生先生の代名詞的なエピソードです。形勢が悪く見える局面でも決して諦めず、最後まで最善の手を読み切る姿勢が、多くのファンを魅了してきました。
エピソード11:NHK杯で4年間負け知らず
将棋のテレビ棋戦として長年親しまれている「NHK杯将棋トーナメント」において、羽生先生は一時期4年間にわたって負けなしという驚異的な記録を打ち立てたことがあります。テレビ棋戦は持ち時間が短く、一発勝負のトーナメント方式であるため、実力に加えて安定感や勝負強さも問われる棋戦です。その中で長期間無敗を続けたことは、羽生先生の総合力の高さを象徴するエピソードといえます。
エピソード12:相手の悪手に不機嫌になる
対局中、相手が想定よりも悪い手(悪手)を指すと、羽生先生がやや不機嫌そうな表情を見せることがあるという逸話も、将棋ファンの間でよく語られます。勝敗そのものよりも、真剣勝負としての将棋の質・内容にこだわる姿勢の表れとも解釈できるエピソードです。
エピソード13:定期的に囁かれる「衰えた説」
羽生先生に関しては、これまで何度も「そろそろ衰えたのでは」という見方がファンやメディアの間で囁かれてきました。しかしその度に、竜王復位や二冠獲得、NHK杯優勝など、目立った結果を残して周囲を驚かせるということを繰り返しています。年齢を重ねてもなお第一線で結果を出し続ける姿は、「レジェンド」という言葉がふさわしい存在感を放っています。
エピソード14:ネット将棋の伝説的強豪説
かつて多くの将棋ファンに利用されていたオンライン対局サービス「将棋倶楽部24」において、初めてレーティング3000を達成した謎の強豪プレイヤーが実は羽生先生だったのではないか、という説がファンの間で語り継がれています。真偽は定かではありませんが、それだけ「正体不明の超強豪=羽生先生では」と自然に噂されてしまうあたりに、その実力への信頼の厚さがうかがえます。
エピソード15:「羽生と対局がなくてずるい」
タイトル戦の対戦成績を語る際、「羽生先生は羽生先生自身と対局することがないから、その分だけタイトル戦での負けが少なくて有利だ(ずるい)」という、ファンならではの冗談めいた指摘がされることがあります。もちろん実際には理不尽な話ですが、それだけ「もし羽生同士が戦ったらどうなるのか」という空想をファンにさせてしまうほどの絶対的な強さを物語るエピソードです。
エピソード16:国民栄誉賞を受賞
2018年、羽生先生は将棋界において初めて国民栄誉賞を受賞しました。長年にわたる将棋界への多大な貢献と、通算タイトル獲得数99期という歴代最多記録が高く評価されたものです。国民栄誉賞は、スポーツや文化の分野で国民に希望を与えた人物に贈られる特別な賞であり、将棋というジャンルからの受賞は非常に大きな出来事として報じられました。
エピソード17:長期休暇を使ってパリのチェス大会に参加
多忙な対局スケジュールの合間を縫って、羽生先生は休暇を利用してフランス・パリで行われた国際的なチェス大会に出場したことがあります。海外のチェス大会にも積極的に足を運び、英語でのインタビューにも自ら答えるなど、将棋一筋にとどまらない国際的な活動をしていることがうかがえるエピソードです。
エピソード18:ウサギのためにソファーを手放す
羽生家ではウサギを飼っており、羽生先生自身も大のウサギ好きとして知られています。ウサギが快適に過ごせるようにと、自宅のソファーを手放したという逸話もあり、家庭でのウサギ愛の深さがうかがえます。
エピソード19:とにかくウサギ愛がすごい
家族の誰もいないタイミングを見計らって、ウサギに「かわいいねぇ〜」と話しかけながら愛でているという、ちょっと微笑ましいエピソードも語られています。厳しい真剣勝負の世界に身を置く棋士としての顔とはまったく違う、家庭人としての柔らかい一面を感じさせる逸話です。こうした背景から、羽生先生には「ウサギおじさん」という愛称も定着しています。
エピソード20:将棋モードに入ると部屋にこもる
自宅にいるときに突然「将棋モード」のスイッチが入り、頭の中が将棋の思考だけになってしまい、部屋にこもって出てこなくなることがあると言われています。ブツブツと棋譜のようなことをつぶやきながら考え込む姿を見て、子供たちからは「お父さん、宇宙に行ってるね」と半ば呆れ気味に見守られている、という微笑ましいエピソードも伝えられています。
エピソード21:伝説のロングスリーパー
羽生先生は非常に長く眠ることがある「ロングスリーパー」としても知られており、最長で26時間以上眠り続けていたことがあるというエピソードがあります。あまりの長さに心配した奥様が、きちんと呼吸をしているか確認するため、鼻先にティッシュを当てて様子を見たという逸話まで伝えられています。トップ棋士としての激しい頭脳労働の反動なのかもしれません。
エピソード22:英語もペラペラ
海外のチェス大会に単身で参加するために、多忙な対局の合間を縫って英語を勉強したとされ、現地メディアの英語インタビューにも通訳なしで対応できるレベルの語学力を身につけています。アメリカ・フランス・ドイツ・UAEなど、各国の大会に自ら足を運んで対局してきた行動力も、羽生先生の凄さを語るうえで欠かせないポイントです。
エピソード23:AIを活用した将棋トーナメントを提案
将棋界にコンピューター将棋(AI)が本格的に普及し始めた時期、羽生先生はいち早くAIを研究に取り入れた棋士のひとりとして知られています。さらにチェスの持ち時間ルールである「フィッシャールール」を将棋に応用したトーナメント戦を自ら提案し、2018年に配信番組として実現させるなど、将棋というジャンルの新しい可能性を模索し続ける姿勢も見せています。
エピソード24:対局中でも自然体な喋り方
普段のインタビューなどでは、「そうですね、あーのー、まぁー」と、ゆっくりと前置きをしながら言葉を選んで話す独特の話し方でも知られています。盤上での鋭さとは対照的な、飾らない自然体の人柄が、多くのファンに親しまれている理由のひとつです。
エピソード25:唯一無二の「1億円プレーヤー」からのスランプ基準
将棋界で唯一の「賞金・対局料1億円プレーヤー」となって以降は、タイトルを3つ程度しか保持していない状態でも「スランプ」と冗談交じりに言われてしまうほど、周囲からの期待値が異常に高い状態が長年続いていました。これは裏を返せば、それだけ長期間にわたって圧倒的な結果を出し続けてきたことの証でもあります。
6. 「無冠」からの復活と藤井聡太との世代対決
長らく将棋界の頂点に君臨し続けた羽生先生ですが、2018年にはついにすべてのタイトルを失冠し、初タイトル獲得から実に27年ぶりとなる「無冠」の状態を経験しました。長期間にわたり圧倒的な結果を出し続けてきた棋士にとって、これは非常に大きな出来事として報じられました。
その後も第一線での活躍を続け、2023年には将棋界の二大スターとして注目される形で、藤井聡太五冠(当時)が保持する王将のタイトルに、羽生先生が挑戦者として登場するという歴史的なカードが実現しました。両者初のタイトル戦での直接対決として大きな話題を呼び、結果は4勝2敗で藤井王将が防衛となりましたが、羽生先生はこの一戦で通算タイトル獲得数を12期に伸ばし、歴代8位(当時)に浮上するなど、50歳を超えてなお強さを見せつけました。
対局後、藤井王将(当時)は「羽生九段には中盤以降、こちらが気付いていない手を指される場面が多かった」と振り返っており、また羽生先生自身も「いろいろな読み筋が出てきて、大変だったが非常に勉強になった」とコメントしています。将棋界を長年牽引してきたレジェンドと、新時代の絶対王者とも言える存在が真剣勝負でぶつかり合ったこのシリーズは、多くのファンの記憶に残る名勝負となりました。

7. 国民栄誉賞と永世七冠の本当の凄さ
「永世七冠」がどれだけ特別な称号なのか、あらためて整理しておきましょう。
将棋界の各タイトルには、それぞれ「〇期以上保持する」「〇期連続で保持する」といった条件をクリアした棋士だけに与えられる「永世称号」が存在します。本来は現役引退後に名乗るのが原則とされていますが、その功績の大きさから、条件を満たした時点で「〇〇世名人」「永世竜王」といった資格を持つことになります。
将棋界には全部で8つのタイトルに対応する永世(名誉)称号が存在しますが、羽生先生は叡王を除く7つすべてでこの資格を満たしており、これは史上でも羽生先生ただ一人が成し遂げた「永世七冠」という前人未到の記録です。2017年に竜王位に復位したことでこの資格を満たし、大きなニュースとなりました。
そして翌2018年には、こうした長年にわたる圧倒的な功績が評価され、将棋界から史上初となる国民栄誉賞を受賞しています。国民栄誉賞は、野球のイチロー選手や体操の内村航平選手など、各分野で国民に大きな夢と希望を与えた人物に贈られてきた特別な賞です。将棋というジャンルからの受賞という点でも、羽生先生の存在がいかに社会的に大きなものであったかがわかります。
8. 将棋だけじゃない!チェスでも日本トップクラス
先ほどのエピソードでも触れましたが、羽生先生は将棋界のトップに君臨する一方で、趣味として始めたチェスにおいても日本トップクラスの実力者として知られています。
チェスを本格的に始めたのは、七冠を達成した1996年前後、25〜26歳の頃だったとされています。世界のトップクラスのチェスプレイヤーと比べるとかなり遅いスタートですが、将棋で培った読みの力と、多忙な対局スケジュールの合間を縫った勉強によって、みるみる実力を伸ばしていきました。
国際チェス連盟(FIDE)が定める公式レーティングでも高い数値を記録しており、国内大会での優勝経験もあります。海外の強豪グランドマスター(チェス界における最高峰の称号)を相手に勝利を収めたこともあり、専門のチェスプレイヤーからも一目置かれる存在です。
将棋という一つの分野で頂点を極めた人物が、まったく別のボードゲームでも国内トップレベルまで到達してしまうというのは、非常に稀有なことです。「将棋星人」という異名がついてしまうのも、納得と言わざるを得ません。
<!– RAKUTEN_AFFILIATE_LINK: チェスセット 入門用 –>
9. まとめ
今回は将棋界のレジェンド、羽生善治九段について、記録的な凄さから、人間味あふれる面白エピソードまで幅広くご紹介しました。
- 通算タイトル獲得数99期は歴代ダントツの1位
- 1996年、史上初の7冠独占を達成
- 2017年、史上初の「永世七冠」資格を獲得
- 2018年、将棋界から史上初の国民栄誉賞を受賞
- 趣味のチェスでも日本トップクラスの実力者
- 50歳を超えてなお藤井聡太竜王・名人とタイトル戦で真剣勝負を繰り広げる現役感
数字だけを見ても十分すぎるほど凄い記録ばかりですが、寝ぐせで調子を占われたり、ウサギを溺愛したり、26時間眠り続けたりと、どこか人間くさく愛される一面を持っているのも、羽生先生が長年多くのファンに愛され続けている理由なのだと思います。

これからも羽生先生のご活躍を応援しています!他にも将棋界の面白いエピソードがあれば、また紹介していきたいと思います。




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