【将棋界の伝説】羽生善治・藤井聡太・加藤一二三…棋士たちの面白エピソード&名言まとめ

将棋

どうも、おはよう、こんにちは、こんばんは。ミギーです。

今回は、将棋の世界に伝わる「伝説」に関してまとめてみました。あわせて、思わず笑ってしまう面白エピソードもたっぷり調べてみました。

最近は藤井聡太名人の活躍で将棋界全体が大きな注目を集めていますが、実は将棋界には、対局の内容そのものと同じくらい語り継がれている「人間味あふれるエピソード」がたくさんあります。

これからもどんどん盛り上がっていく将棋界を、ぜひ楽しんでいきましょう♪

将棋というと「静かで難しい世界」というイメージを持つ方も多いと思いますが、調べれば調べるほど、棋士の皆さんの人間味あふれるエピソードが出てくること出てくること。今回は真面目な戦績紹介から、思わず吹き出してしまう伝説まで、幅広く集めてみました。

目次

  1. 将棋界の話題の棋士たち(羽生善治・藤井聡太・森内俊之・佐藤紳哉)
  2. 「神武以来の天才」加藤一二三九段の伝説エピソード集
  3. 田中寅彦九段「序盤のエジソン」誕生秘話
  4. 観戦記作家・河口俊彦が見た棋士たちの本音
  5. 対局にまつわるユニークなエピソード集
  6. 将棋史に残る伝説的事件と出来事
  7. 将棋界の聖地・名所を巡る
  8. まとめ

第1章 将棋界の話題の棋士たち

まずは、将棋界を語るうえで欠かせない実力派棋士たちを紹介します。

1-1.7冠制覇のレジェンド・羽生善治

「将棋棋士の中ですごい人は?」と聞かれて、真っ先に名前が挙がるのがこの人、羽生善治九段でしょう。将棋にあまり詳しくない方のために、まずは彼のすごさを簡単に説明します。

現在、将棋界には主要なタイトル戦が8つ存在します。名人戦、竜王戦、王位戦、王座戦、棋王戦、王将戦、棋聖戦、そして2015年に新設された叡王戦です。これらは基本的に年1回開催され、1つでもタイトルを獲得すれば、その時代のトップ棋士の一人と言っても過言ではありません。

羽生九段は1996年、当時まだ8タイトルではなかった時代の7タイトルすべてを同時に保持する「七冠独占」という前人未到の偉業を成し遂げました。さらに2017年12月5日には、規定の永世称号があった全7タイトルで永世称号を獲得する「永世七冠」を史上初めて達成しています。将棋の永世称号は、名人なら通算5期、竜王なら連続5期または通算7期など、それぞれ非常に厳しい条件が定められており、タイトルを一つも獲れずに引退する棋士がほとんどという厳しい世界にあって、その重みは計り知れません。

タイトル戦以外でも、将棋大賞の最優秀棋士賞を22回受賞、通算勝利数も歴代1位を記録するなど、羽生九段の記録の多くは「将棋界において羽生九段が持っていない記録のほうが珍しい」と言われるほどです。長年、対局中に見せる鋭い視線「ハブにらみ」や、寝癖がそのままタイトル戦に登場することでも親しまれてきました。

1-2.藤井聡太のすごさ

将棋を題材にしたある小説では、主人公が15歳2か月でプロ棋士になり、16歳4か月でタイトルを獲得するという、当時の記録を上回る設定が用意されていました。フィクションだからこそ思い切った設定にできる、という発想だったのでしょう。

ところが、その設定に迫るどころか、それを超える現実の棋士が現れます。それが藤井聡太名人です。彼は2016年、当時史上最年少となる14歳2か月でプロ入りを果たしました。事実は小説よりも奇なり、とはよく言ったものです。

さらにそのままプロデビューから無敗で公式戦最多連勝記録(29連勝)を樹立し、その後も最年少タイトル獲得記録をはじめ数々の記録を次々に塗り替えていきました。2026年現在も、名人をはじめとする複数のタイトルを保持し、将棋界の歴史を更新し続けています。

1-3.鉄板流の永世名人・森内俊之

森内俊之九段は永世名人の資格を持つ棋士であり、羽生善治九段の永遠のライバルと言っても過言ではない大棋士です。手堅く確実に優位を築いていく指し回しから「鉄板流」と評される森内九段ですが、そのイメージとは裏腹に、調べてみると意外なほどおもしろいエピソードが数多く残っています。同世代のライバルたちとしのぎを削りながら、じっくりとタイトルを積み重ねてきたその棋風は、まさに「堅実の中の情熱」を体現していると言えるでしょう。

1-4.独特のトークで人気の佐藤紳哉七段

佐藤紳哉七段は、1997年のプロ入り以来、独自の存在感で将棋界を盛り上げ続けてきた棋士です。カツラを使った有名な余興芸はもちろん、対局や解説での独特な語り口でも高い人気を誇ります。

2012年放送のNHK杯将棋トーナメントでは、対戦相手だった豊島将之六段(現・名人)について問われた際、「豊島? 強いよね」と、まるでスター選手を評するかのようなイケイケな口調で答えたことが話題になりました。棋士らしからぬ独特なトークは一種の「伝説」として語り継がれ、Twitter(現X)ではその口調を再現したbotアカウントまで登場するほどの人気ぶりです。将棋の解説などでメディアに登場する機会も多く、ネットやSNSでも継続的に注目を集める存在です。

第2章 「神武以来の天才」加藤一二三九段の伝説エピソード集

将棋界広しといえど、これほど数多くの逸話を持つ棋士はそう多くありません。加藤一二三九段、通称「ひふみん」です。

2-1.史上初の中学生棋士

加藤九段は1954年、当時史上最年少となる14歳7か月でプロ入りを果たし、史上初めて中学生でプロ棋士となりました。この最年少記録は、2016年に藤井聡太名人が14歳2か月でプロ入りするまで、実に62年間にわたって破られることのなかった大記録です。その後も毎年のように昇段を重ね、18歳でトップリーグであるA級に昇級。この「18歳A級」という記録は、あの藤井聡太名人ですら破ることができていない大記録として今も残っています。あまりの早熟ぶりから「神武以来の天才」と称され、実力制6人目の名人にもなりました。

2-2.大食い伝説の数々

加藤九段のエピソードといえば、なんといっても対局中の食生活にまつわる逸話です。

  • 対局時の食事は約40年間「うな重」だったと語られている
  • うな重のあとにバナナを一房まるごと食べることがあった
  • 対局中のおやつとして板チョコ(明治製菓)を1日で8枚食べきったこともある
  • 1981年、米長邦雄との十段戦では、互いに山盛りのミカンを注文し、2時間以上にわたって食べ続ける「ミカン合戦」が繰り広げられ、記録係が「みかん臭くて助けてほしい」と音を上げるほどだった
  • タイトル戦の昼食にカキフライ定食とチキンカツ定食の両方を注文したこともある

これほどまでに食べても対局には支障がなかったというのですから、驚くべき胃袋の持ち主です。ちなみに加藤九段本人は、カキフライ定食は軽いのでチキンカツ定食で埋め合わせただけ、と至って真面目にコメントしていたそうです。

2-3.「あと何分?」の口癖

加藤九段は早指しの名手としても知られ、「一分将棋の神様」の異名を持っていました。ただし本人は、神様と呼ばれることに謙遜し、「達人」と呼んでほしいと周囲に伝えていたというエピソードも残っています。

秒読みに入っても「あと何分?」と繰り返し確認する口癖があり、記録係が「1分です」と答えても「あと何分?」と再度尋ね、最終的に記録係が「1分だよ!」と思わず声を荒げてしまったという、なんとも微笑ましいやり取りが語り継がれています。実際、早指し棋戦であるNHK杯でも7回の優勝を誇るなど、秒読みでの正確さには他の棋士たちからも定評がありました。中原誠十六世名人は「加藤さんと秒読みで指す場合は、常に精度の高い手を指し続けないと勝てない」といった趣旨のコメントを残しているほどです。

2-4.豪快な奇行エピソード

  • タイトル戦で「滝の音がうるさい」と旅館の滝を止めさせたことがある
  • 雨宿りをする猫4匹に「ハロー」と手を挙げて挨拶し、「君たちも将棋に興味があるのかい?」と語りかけた
  • 対局中に自前のストーブを対局室へ持ち込んだことがある
  • バチカンから「聖騎士勲章」を受章し、「事件が起きれば白馬にまたがって駆けつけなければいけない」とコメントした
  • 将棋世界の連載企画で自身の敬虔なカトリック信仰について執筆したこともある

自由奔放でありながらどこか憎めない、天真爛漫な人柄がにじみ出るエピソードばかりです。こうした逸話の数々は「加藤一二三伝説」として、長年多くのファンに愛され続けてきました。

2-5.63年の現役生活に幕、そして

加藤九段は2017年6月20日に現役を引退。最高齢現役記録、最高齢勝利記録、現役勤続年数など、数々の「歴代1位」記録を打ち立てました。1950年代から2000年代まで、実に6つの年代でトップリーグのA級に在籍したという記録は、加藤九段ただ一人が持つ大記録です。

引退後は「ひふみん」の愛称でバラエティ番組にも数多く出演し、将棋というジャンルの枠を超えて、多くの人に愛される存在となりました。

そして2026年1月22日、加藤九段は肺炎のため86歳で逝去されました。訃報に際し、羽生善治九段は「生涯をかけて将棋に打ち込まれていた偉大な棋士でした。現役生活63年は空前絶後の大記録でありましたし、気力と情熱を失わずに盤上と格闘する姿にいつも敬意を感じていました」とコメントを寄せています。数々の伝説とともに、加藤一二三という一人の棋士が将棋界に残した足跡の大きさを、あらためて感じさせる出来事でした。

正直、加藤先生のエピソードを調べれば調べるほど、笑ってしまうと同時に「本当にすごい人だったんだな」としみじみ感じました。これだけの逸話が語り継がれる棋士は、なかなかいないと思います。この記事を書いている間に訃報のニュースにも触れ、あらためてご冥福をお祈りしたい気持ちになりました。

第3章 田中寅彦九段「序盤のエジソン」誕生秘話

将棋界には、常識を疑うことで新しい戦法を生み出した棋士が何人もいます。その代表格の一人が田中寅彦九段です。

当時まだ奨励会員だった若き日の田中青年は、矢倉戦法の駒組みに素朴な疑問を抱きました。「一手をかけて飛車先を突く必要が、本当にあるのだろうか」。この疑問を思い悩んだ結果、四段昇段後にさまざまな試行錯誤を重ねていきます。

新しい発想には、当然のように非難がつきものでした。「中途半端に飛車先を突くのも気になっていたのに、ついに一つも突かない人が出てきた」「飛車を使わずに勝てるのか」と、先輩棋士たちから懐疑的な目を向けられることもありました。あの大名人・中原誠十六世名人からも「若いときからこんなことばかりやっていては強くなれない」と説教を受けたこともあったといいます。

それでも田中青年は、周囲の声に流されることなく、自らの発想を信じて研究を続けました。その結果、現在では田中九段の考え方が主流の一つとなり、「序盤のエジソン」として将棋界で高く評価されるようになったのです。

新しい戦法を生み出す棋士には、決まって「常識を疑う勇気」と「批判されても貫き通す信念」があります。これは、以前ご紹介した藤井猛九段の「藤井システム」誕生のエピソードにも通じる、将棋界に共通する革新のドラマといえるでしょう。

第4章 観戦記作家・河口俊彦が見た棋士たちの本音

将棋界には、対局そのものだけでなく、その裏側にある棋士たちの心理や日常を丹念に描いた「観戦記」という文化があります。中でも河口俊彦氏の『対局日誌』シリーズは、棋士たちの本音がにじみ出る名文として、多くの将棋ファンに読み継がれています。

昭和62年(1987年)9月25日の記述として知られる「強くなる意志」という一篇には、こんなエピソードが記されています。

順位戦のクラスであるB級2組の中堅棋士たちに活気が乏しいのは、「食べていけるから」という安心感があるからではないか——そんな疑問を抱いた河口氏は、若手棋士2人に「自分自身が年々強くなっていると思うか」と尋ねてみました。返ってきた答えは、どちらも同じ。「弱くなっていますね。二、三年前のほうが強かった」というものでした。「本当かい、正直に言ってくれよ」と念を押しても、答えは変わりません。

一方、より上位のクラスであるB級1組の棋士たちに同じ質問をしたところ、これは予想通り、全員が「弱くなっている」と答えました。ただし、口ではそう言いながらも、それでも自分は他の誰よりは強い、と信じている気配があった、と河口氏は綴っています。その分、B級1組の棋士たちのほうが、勝負師としてしぶといのだ、と。

順位戦という長い年月をかけて戦い抜くクラス分けの中で、棋士たちがどのような葛藤や矜持を抱えながら盤上に向き合っているのか——この短いやり取りの中に、将棋界の厳しさと人間味が凝縮されているように感じます。

「弱くなっていると言いながら、自分は他の誰よりは強いと思っている」というくだり、なんだか将棋に限らずどんな仕事にも通じる話だなと感じました。謙遜と自負が同居する感覚、私も原稿を書いていて似たようなことを思うことがあります。

第5章 対局にまつわるユニークなエピソード集

将棋界には、思わずクスッと笑ってしまうような、人間味あふれるエピソードがたくさん語り継がれています。

5-1.船戸陽子女流二段の入籍報告

将棋界で語り継がれる名文の一つに、船戸陽子女流二段が発表した入籍報告があります。将棋の戦法になぞらえて自らの恋愛模様をユーモラスに表現したもので、次のような内容として知られています。

「いつもお世話になっている皆様にご報告いたします。この度、私船戸陽子は29歳の一般男性と入籍いたしました。私は四枚穴熊に自陣に馬まで引きつけていたにもかかわらず、彼の原始棒銀に寄せ切られてしまいました。至らない私たちではございますが、どんなときも互いを思いやる家庭を築いていきたいと思っております。皆様にはこれからも、変わらぬご指導を賜りますようお願い申し上げます」

「四枚穴熊」という非常に堅い守りの囲いを自分自身の恋愛防御に、「原始棒銀」という直線的でシンプルな攻め筋を相手からのアプローチになぞらえたセンスは、将棋ファンの間で大きな話題となりました。将棋用語を巧みに使った、なんとも粋な報告文です。

5-2.順位戦、最終戦の攻防

将棋界の順位戦は、1年をかけて争われる長丁場の棋戦です。その最終盤では、順位や昇級・降級がかかった重要な一局が数多く生まれます。

ある年の最終戦、深浦康市九段と橋本崇載八段の一局を前に、深浦九段は「次の橋本さんとの一局はA級での順位を決める非常に重要な対局になります。順位一つ違うことの大きさを嫌というほど思い知らされてますので全力でぶつかります」と、真剣な決意を語っていました。

一方の橋本八段(愛称・ハッシー)は、既に目標を達成し肩の荷が下りた様子で「この後も大事な試合が続きますが、完全に気が抜けましたw 昨日から笑いが止まりませんwww いつも食ってるコンビニ弁当やカップラーメンまでA級の味がする(笑)頭おかしいです」と、対照的にリラックスしたコメントを残しています。同じ順位戦という舞台でも、置かれた立場によって心境がまったく異なる——将棋界の人間模様がよく表れたエピソードです。

5-3.「天空の城」ラピュタ発言

対局中の玉の囲い方を巡って、記者が神谷広志七段に「▲5七玉は天空の城という感じがしますか?」と質問したところ、神谷七段は「ラピュタねえ(笑)。最後は崩れるんですけどね(笑)」とユーモラスに返した、というやり取りも将棋ファンの間で語り草になっています。囲いを空に浮かぶ城になぞらえつつ、最終的には囲いが崩されてしまう将棋の展開を自虐的に交えた、絶妙な切り返しです。

5-4.藤井猛九段の名言

以前の記事でもご紹介した藤井猛九段は、将棋そのものの本質を突く名言でも知られています。「将棋とは、一対一で玉を攻め合い、そして最後に羽生が勝つ」という趣旨の発言は、羽生善治九段の圧倒的な強さをユーモアたっぷりに表現したフレーズとして、多くの将棋ファンの記憶に残っています。

5-5.加藤一二三と渡辺明、世代を超えた将棋談議

ある竜王戦の立会いに訪れた加藤一二三九段が、打ち上げの席で当時の竜王・渡辺明九段からこんな質問を受けたというエピソードも伝えられています。

渡辺竜王「加藤先生、昭和54年に中原さんと戦った将棋があるでしょう。加藤先生が中原さんの6五金に対して4五歩と突いた手があるんですけれども、あの4五歩というのは指せません。どうして指せたんですか?」

これは渡辺竜王自身の対局ではなく、遠い昔に加藤九段と中原誠名人が指した一局についての質問でした。それに対して加藤九段は「我を得たり! いい質問だ!」「明、すぐれてる!」「なかなか若いのによろしい。見込みがある!」と上機嫌で答え、「あの4五歩はですね、精神の高揚のなせる業だ」と締めくくったといいます。世代を超えて棋士同士が過去の名局を語り合う、将棋界ならではの温かい光景です。

5-6.米長邦雄と森内俊之、師弟の電話

将棋界には師弟関係にまつわる心温まるエピソードも数多くあります。ある土曜日の午後、米長邦雄永世棋聖のもとに一本の電話がかかってきました。

「あのー、森内ですが」 「えっ。あの有名な偉い人。私、将棋の米長ですが」

森内俊之九段からの用件は、師匠である勝浦修九段の引退パーティで一言挨拶をしてほしい、というお願いでした。米長永世棋聖はもちろん快諾。急に気分が良くなったとし、「やっぱり持つべきはいい弟子だなぁ」とコメントしたと伝えられています。ユーモラスな電話のやり取りの奥に、師弟や先輩後輩をまたいだ将棋界の温かい人間関係がにじみ出ているエピソードです。

第6章 将棋史に残る伝説的事件と出来事

6-1.陣屋事件(1952年)

将棋史上もっとも有名な「事件」として語り継がれているのが、1952年(昭和27年)に起きた「陣屋事件」です。

当時、第1期王将戦七番勝負で升田幸三八段が木村義雄名人を相手に4勝1敗とリードし、規定により第6局は升田八段が香車を落として指す「指し込み」の一局になることが決まっていました。ところが対局前日、対局場である神奈川県鶴巻温泉の旅館「陣屋」を一人で訪れた升田八段は、玄関で呼び鈴を何度押しても出迎えがなかったことに腹を立て、近くの別の旅館に籠ってしまいます。

関係者が翌日の対局開始直前まで懸命に説得を続けましたが、升田八段の意志は変わらず、そのまま対局は拒否され不戦敗となりました。この一件は将棋界のみならず社会的な事件として大きく報じられ、日本将棋連盟は升田八段を1年間の公式戦出場停止処分としています。

この事件をきっかけに、旅館「陣屋」では来客時に入口の太鼓を打ち鳴らして出迎える慣習が生まれ、2011年時点でも続けられているといわれています。名人という当時最高の権威に対して一歩も譲らなかった升田八段の矜持と、その結果生まれたユニークな慣習は、将棋史における名エピソードの一つとして今も語り継がれています。

6-2.人間対コンピュータの歴史

将棋界において、コンピュータ将棋ソフトとプロ棋士の対局は、大きな注目を集め続けてきたテーマです。

2007年には、渡辺明竜王(当時)が開発者・保木邦仁氏によるソフト「Bonanza」と対局し、際どい勝負の末に渡辺竜王が勝利を収めました。その後、2012年1月14日に行われた「第1回将棋電王戦」では、米長邦雄永世棋聖がコンピュータ将棋ソフト「ボンクラーズ」と対局し、序盤は米長永世棋聖が優勢に進めたものの、最終的にはボンクラーズが勝利。プロ棋士とコンピュータの対局史における大きな転換点となりました。

翌2013年には、佐藤慎一四段(当時)が将棋ソフト「Ponanza」と対局し、コンピュータが正式なルールのもとで現役プロ棋士に勝利する初めてのケースとなりました。佐藤四段の出場のきっかけは、前年の電王戦で米長永世棋聖がコンピュータ対策専用の作戦を用いたのを見て、「プロなら特別な対策を使わずに勝つべきだ」と発言したことにあったといわれています。

その後もコンピュータ将棋ソフトの実力は急速に向上を続け、2015年には棋士側の機転により勝利を収める場面もありましたが、大きな流れとしてはソフトの実力が人間を上回る時代へと突入していきます。2016年、日本将棋連盟は対局時の電子機器使用を禁止する規定を発表しました。現在では、将棋ソフトはプロ棋士の研究における強力なパートナーとして活用されており、対局後の感想戦や中継における評価値表示など、将棋観戦の新しいスタイルを生み出す存在にもなっています。

6-3.駒落ち対局という文化

将棋界には、実力差のある対局者同士が公平に戦えるよう、強い側が飛車や角、あるいは香車などの駒をあらかじめ減らして対局する「駒落ち対局」という独自の文化があります。

タイトルホルダー経験者や実力者が、若手棋士や指導対局として駒落ちで戦うことで、普段の平手(駒を落とさない対局)ではなかなか見られない戦術や大胆な指し回しが繰り広げられることがあります。将棋の奥深さと多様性を感じられる、興味深い文化の一つです。


第7章 将棋界の聖地・名所を巡る

将棋ファンなら一度は訪れてみたい、将棋界ゆかりの場所をご紹介します。

7-1.将棋会館(東京・千駄ヶ谷)

東京都渋谷区千駄ヶ谷(現在は移転済み)に位置していた将棋会館は、長年にわたり将棋界の象徴的な拠点でした。日本将棋連盟の事務所が置かれ、数多くのプロ棋士やアマチュア将棋ファンが訪れる場所として親しまれてきました。館内やその周辺には将棋にちなんだ展示や設備もあり、将棋ファンにとっては聖地とも呼べる存在です。

7-2.対局会場としての旅館・ホテル

名人戦や竜王戦をはじめとするタイトル戦は、全国各地の由緒ある旅館やホテルを舞台に開催されます。前述の「陣屋事件」の舞台となった鶴巻温泉「陣屋」のように、対局場そのものが将棋史の一部として語り継がれている場所も少なくありません。歴史を感じさせる風格ある空間で行われる真剣勝負は、将棋ファンにとって特別な魅力を持っています。

7-3.大盤解説会・イベント

タイトル戦の開催に合わせて各地で行われる大盤解説会は、実際にその土地でプロ棋士の生解説を聞きながら対局を観戦できる貴重な機会です。近年では、対局の様子をリアルタイムで追いながら、地元グルメや観光とあわせて楽しめる将棋イベントも各地で開催されており、将棋ファンにとって新しい楽しみ方の一つとなっています。

まとめ

今回は、将棋界に語り継がれるさまざまな伝説やエピソードをご紹介してきました。

  • 羽生善治九段の永世七冠、藤井聡太名人の数々の最年少記録
  • 「神武以来の天才」加藤一二三九段の破天荒な伝説の数々と、その功績への敬意
  • 田中寅彦九段が常識を疑い抜いて生み出した「序盤のエジソン」の異名
  • 河口俊彦氏の観戦記に描かれた、棋士たちの人間らしい葛藤
  • 船戸陽子女流二段の入籍報告や、棋士同士のユーモラスなやり取り
  • 陣屋事件やコンピュータ対局の歴史など、将棋界を揺るがした出来事

対局の内容そのものはもちろん奥深いものですが、こうしたエピソードや名言を知ることで、棋士一人ひとりの人柄や生き様がより身近に感じられるのではないでしょうか。将棋観戦がまだ少し難しく感じる方も、こうした人間味あふれる裏話から入ってみると、驚くほどすんなりと将棋の世界に引き込まれていくはずです。

将棋界には対局会場や将棋専門施設など、さまざまな名所もあります。これらの場所を実際に訪れることで、将棋の魅力をより深く感じることができるでしょう。将棋ファンなら一度は訪れてみたい将棋界の名所も、ぜひチェックしてみてください。

これからも盛り上がり続ける将棋界を、一緒に楽しんでいきましょう。最後まで読んでいただき、ありがとうございました。ミギーでした。

 

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